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見過ごされがちな「存在」を見つめる。

 

くわナ よしゆき  KuwaNA Yoshiyuki
カマキリが描かれたドラムカンが工場周辺の草むらにある。
 
 

☆驚くほどに、在る☆

 
からモノの存在、そのモノが「ある」ということに興味があった。
 普段、ひとが気にも懸けないものにこそ想像力を駆使し、
 その存在の「むこうにあるもの」に思いを馳せていました。
 なぜか?そのモノ(コトでも)に、それを産み出す様々な試行錯誤があったにせよ
 なかったにせよ、産まれ出てきた経緯やそれに携わった人々の気配を想像していたからです。
 僕は幼いころ、一人遊びのひとつに「自分がいることに驚愕!!」遊びがあった。
 自分の手のひらをじ~っと見つめ続けるとパチッと頭の中でスイッチが入り、
 「うわ~!え~!!こ、ここにく、わ、ナ、よ、し、ゆ、きってのが、おる~!!」って
 ビックリしてました。と同時に、
 この世?周りの世界?空間?を実感、認識していたんだと思う。
 
 今、いくら手を見つめても驚けない....
 大人になるにつれ、この驚けるチカラは、忘すれ去られるわけだが、
 (コトあることに驚いてたら.....生きていく上で理由があるのだろう。)
 それを補うように想像力が育まれ、良くも悪くも、人の生活を豊かにしているんだと思う。
 
 今の世、モノコトが大量に生産、消費を繰り返し続け、見過ごされているもの、
 見えにくくなっていることが多すぎる。新しいもの、奇抜なもの、便利なもの(短縮!短縮!)
 .....うみだされすぎて、なにかモノやコトに気を配ることが薄れてきている。
 
「うまれてる」「うみだされてる」「ある」ということに、
 感動、感謝を感じられなくなってきている
...本来、「ある」ということ自体、難しいのに!!
 
ある」ことへ、想いを寄せていかないと、
何も感じなくなって世界が無に向かう気がする。
 
 自分が確かにここにいて(あって)
目の前のモノコトたちも確かに「ある」(いる)と再認識し、
「それぞれにある」ことへの想像をしていかないと...
 どんどんどんどん、知らないうちに....みんな、なくなってる...
 
☆想像力は感動力であり、存在力だ☆
たまたま見かけたドラムカンが 問いかける。
 『オレ、在るの?』
 
『おうっ、在るで!! 驚くほどに素晴らしく!!』
 
見過ごされがちではあるが独特の存在感をもち、
しっかりと生み出されてるドラムカンを通じて、
モノコトが『確かに在る』ことへの感動を伝えたい。